雨宿り

 

 

 

 夏の終わりの夕暮れ、久しぶりに雨が降った。
 学校の帰り際に突然、降りはじめたせいで、菊丸と不二は傘を持っておらず、あわてて走り出した。
「不二、どっか入る?」
「すぐやむかな」
「わかんないけど、ひどくなってきてるっ」
 さっきまで晴れていた空がうそのように、黒い雲が厚く覆い、暗くなってきている。
「こういう時に限ってコンビニもないとこだし」
 と菊丸はきょろきょろとした。
「あ、一コ、前から入ってみたかったとこ発見。ほら」
 菊丸は立ち止まり、雨でかすむ、少し遠くの建物を指さした。
 雨のせいか、派手目な外装も、それほど目立って見えず、まわりの景色に溶けこんでいた。
「え?」
 と不二は手をかざし、首をかしげた。
 菊丸はちょっと耳元に顔を寄せ、
「ラブホ」
「ああ」
「オレらじゃ入るの無理だけどにゃ」
 不二は笑って、
「この格好じゃ、雨宿りです、て言っても無理っぽいよね」
「私服の手塚あたりなら余裕で入れそうだけど」
 と菊丸はおかしそうに言った。
「確かに。絶対入れる」
 と不二もおもしろそうに賛同して、濡れた手で額にはりついた髪をよけた。が、すぐに新たな雨粒が白い額に落ち、頬を伝っていった。
 菊丸は思わず雫の行き先を目で追ってしまい、はっと気づいて視線をそらした。
「あっちの、ひさしの下行こ!」
 と菊丸は強く駆け出した。
「え、ちょっと待って」
 少し走って、古びたシャッターがおりている店先のひさしに入り、一息ついた。
 雨はやむどころか、ますます強くなっている。
 たたきつけるような音が響いて、ひさしから落ちる雨が目の前をふさぎ、ふたりきりになってしまったような錯覚があった。
 タバコの自販機が小さな音をたて、一度消え、またすぐについた。
「これ、ジュースだったらよかったのに」
 と菊丸はタバコの自販機を軽くけった。
「やみそうにないかな」
 と言って、不二はシャツの裾をしぼった。中に着ているシャツもいっしょにしぼると、脇腹の白さがのぞき、菊丸はあわてて雨脚のカーテンに目を移した。
「もう靴の中もびしょびしょ」
 不二は靴の中の水でも確かめるように、コンクリートの地面を踏んで、足元を見た。
「タオル、持ってたかも」
 と菊丸はかばんの中を探した。フェイスタオルがあったが、しっとりと少し濡れていた。それでも、ないよりは、と菊丸はタオルを不二に差し出した。
「はい」
「え? いいよ。英二、ふきなよ」
「オレは平気。不二のが風邪ひきそうだもん」
「やみそうにないから、またどうせ濡れるし」
 と不二はタオルを押し返した。
「いいから」
「夏だから、大丈夫だよ」
 菊丸は不二の濡れた髪にタオルを押しあて、顔から首筋に落ちる水の粒をぬぐった。
 ふれる体温が少し高いような気がして、走ってきたからかな、と菊丸は思いながらも手をとめ、横から不二の顔をのぞきこんだ。
 一瞬目が合い、
「やっぱ熱が」
 と菊丸は言いかけたが、不二がぱっと目をそらし、タオルを持つ手から逃げてしまい、全部言えなかった。
「え?」
 そっぽを向いている横顔が、こころなしか赤く見え、
「なんだ」
 と菊丸はわかったように、ちょっと笑った。
 その笑う気配で、不二はふりむき、
「なに?」
「べーつに」
 菊丸がにやにや笑うと、不二は困ったような、怒ったような顔をして、またすっと目をそらしてしまった。
 さっきから不二はあまりこっちを見ようとしないな、とも菊丸は思い当たり、わざと不二の身体に手をまわすようにして、自分から遠いほうの明るい髪をふき、指を耳から濡れた肩に滑らせた。
 腕の中で不二が身体を硬くするのがわかり、菊丸はくすっと笑った。
「エージ…ッ」
「にゃにかなー」
 吐息が届く距離でしゃべると、不二はびくっとし、菊丸の腕を押して、軽く耳を押さえながら離れてしまった。
 車が一台、水しぶきをあげて、通り過ぎていった。
 ざあざあと絶え間ない雨の音が響いていた。
「ふーじ、そんな端っこいくと、濡れちゃうよ」
 と菊丸は幼い子でも呼ぶように手招きした。
 不二はうらめしそうな顔を上げ、小さく息を吐き、ひさしの中のほうへ戻った。
「あーあ。せっかく、ちょっとふいたのに、また濡れちゃったじゃん」
 新たな雨粒が不二の顎を伝い、首筋に落ちて、胸元へ流れていった。
 菊丸が背中にまわると、不二は首をひねるようにして、とまどうような潤んだ瞳を向けた。
「このタオルも湿ってるし、あんまり意味ないか」
 菊丸はうしろからそっと抱きしめ、さりげなく腰を押しつけ、不二の肩口に顎をおいた。
「大丈夫。オレもいっしょだから」
「わ」
 不二は珍しいくらい赤くなって、腰にまわった菊丸の手をつかんだ。
「英二っ、だめだって」
「なんで? 雨まだやまないよ」
 菊丸はちゅっと頬にキスをした。不二は強く目をとじ、背中をまるめた。
「なんか、だめ。緊張してきた」
「今さら?」
「今さらでも、なんでも」
「不二が? 試合の時だって緊張しないじゃん」
「わっかんないよ」
 不二は逆ギレするように叫んで、うつむいた。
 濡れた後ろ髪が首筋にはりついて、うなじが見えた。
 菊丸は思わずぎゅうと抱きついた。
「なんか、マジやばくなってきた」
「ちょっと、英二っ」
 不二は濡れたシャツの上を動く菊丸の手に自分の手を重ねてつかまえた。それでも、菊丸はまだ指を動かそうとしたが、不二がしっかりと握りこんでとめた。
「ふじー」
 菊丸は甘えた声を出し、仕方なさそうに不二の肩口に顔をうずめた。
 そのまま少しじっとしていると、不二は小さく肩を震わせた。
「不二?」
 菊丸は肩口から顔を離した。
 不二は笑っていた。
「なに? もう緊張なくなっちゃったの?」
「うん。なんか、落ち着いてきた」
 不二は横を向いて、間近にある菊丸の顔をのぞきこみ、笑顔を見せた。
 菊丸は笑う口元に軽く唇を寄せた。
「つまんないの。つづきは不二んち?」
「ほら、雨、弱くなってきたよ」
「どこ? 不二んちでいいの?」
「で、いいんじゃない?」
「おっし」
 菊丸は不二から離れ、放り出してあったかばんをひろいあげた。
「雨がやまなかったら、帰れないから泊まっちゃおうかにゃ」
「よかったら傘、貸すけど」
 と不二は笑った。
「そういうこと言う? 明日休みだし、いいじゃん」
 小降りになりだした雨の中、ふたりはひさしを出た。
「前わすれてったティーシャツなかったっけ?」
 と菊丸は聞いた。
「あるよ。洗濯して、しまってある」
「うわ。洗ってくれたんだ。ごめんっ」
 不二は手のひらを空に向け、天を仰いだ。
「やむかも」
「やんでも行く!」
 と菊丸は言いきり、雨の舞う空を見上げた。
「うん」
 と不二はうれしそうにうなずいた。

 

 

 

  END.