サクラサクラ



ち、と舌打ちが漏れた。
海堂は社会科の資料室にいた。
放課後運悪く担任に捕まり、資料を運んで整理するように言いつけられてしまったのだ。
遠慮ない資料の山にうんざりしながら、黙々と作業を続けていく。
このままだと部活に遅れてしまう。
グラウンドを走らされるのは苦にはならないけれど、今日は試合形式の練習だったはずだ。
手塚や不二と対戦できるかも知れないのに。
遅刻する事で機会が無くなってしまうのは頂けない。

知らず、作業の手を早めた。
この所の春の陽気も手伝ってか、額にじんわりと汗が浮かんでくる。
資料室の埃っぽさにも不快を覚えて、窓際に近寄った。
窓を開けると風が吹き込んできて、その心地よさに目を閉じた。
目を開ければ揺れる薄紅色が視界をかすめて、惹かれるまま資料室から見える中庭に目をやった。


中庭には1本の桜の木。
満開の頃を少し過ぎて、はらはらと花びらを散らせている。
その様子を綺麗だ、と素直に思った。
仕事も、部活が迫っている事もどこかに忘れて、海堂は桜をぼんやりと眺めた。
奪われた目に、薄紅色が映る。

・・・・雪みたいだ。

落ちる桜の花びらの行方を追った先で、海堂は不意に目を止めた。

・・・・あれは。

桜の木の側にあるベンチに、見慣れた二人がいたことに漸く気付いた。


不二先輩と、菊丸先輩。


そこには同じテニス部の先輩である二人が座っていた。
普通ならば、もう部室にいる時間のはずなのに。




不二は本を読んでいた。
ページをゆっくりとめくるのが見えた。
菊丸はベンチにもたれてただ座っている。
投げ出した足を交差させて、一定のリズムで揺れている。
見れば、両耳からイヤホンらしきコードがポケットに繋がっている。
どうやら音楽を聴いているらしい。



海堂は二人の様子にどことなく違和感を覚えた。
いつも自分が目にしている二人と様子が違う気がしたのだ。

何が、どこが違うのだろう。

去年に引き続き今年も同じクラスになったらしい二人は、個性派揃いの3年生の中でも特に仲がいい。
部活の合間や部室内で明るい笑い声をあげているのが常だし、不二が菊丸をからかっている様子も見慣れた光景だ。
菊丸のくるくる変わる表情や感情表現が豊かなところも手伝ってか、二人を取り巻く空気はいつでも明るく、華やかなものに自分の目には映っていた。

けれど、今自分が見ている二人は、お互い寛いだ、穏やかな表情をしているけれど会話を交わそうとする様子はない。
ただただ、思い思いの時間を過ごしているように見える二人。
隣の存在を意識しているのかいないのか。
菊丸の良く動く大きな目はぼんやりと何処かを眺めているし、不二はいつもの微笑みも浮かべておらず、淡々と本を読んでいる。


静かな、二人。


違和感を覚えたままで二人を眺めていると、不二が腕時計を見る仕草をした。

つられて自分も資料室の時計を見る。

しまった、練習時間が迫っている。


海堂は二人から目を離して窓を閉めると、慌てて仕事を片づけた。
教室に戻って荷物を取り、急いで部室へ向かう。
部室への道のりの途中には先ほど二人の先輩がいた中庭がある。
その中庭にさしかかったところで、海堂は足を止めた。


そこにはまだ二人の姿があった。
もう行かなければ間に合わないのに。
疑問に思いながらも二人から見えないように校舎の陰に体を引いた。
そのまま挨拶をして通り過ぎればいい。
そう思うのに、何故か隠れてしまった自分にまた舌打ちが漏れる。
逡巡して、その当たり前の行動を実行しようと足を踏み出そうとしたとき、



びゅう、と強い風が吹いた。



風の強さに思わず目を閉じる。
ゆっくりと目を開ければ、桜の花びらが舞っていた。
薄紅色の雪が、そこかしこに降り注ぐ。
柔らかい色合いが揺れる景色にまた目を、心を奪われた。


風が和らぐ。
ベンチの方を見れば、菊丸が降り注ぐ桜を受け止めるでもなく片手を宙に差し伸べていた。
桜の木を仰ぎ、やんわりと微笑んで。
はらはら、はらはらと桜の花びらが舞う。
不二も桜の木を見上げていた。
その表情はやはり柔らかい。
やさしい光が、薄紅色が、二人に降り注ぐ。


ふと、不二が桜の木から目を離し、菊丸のはねた髪の毛に付いた桜の花びらに手を近づけた。
菊丸がその仕草に気付いて不二を見る。
不二はそっと花びらを摘んで菊丸に見せた。
その仕草に菊丸は少し笑って、お返しとばかりに不二の肩に付いた花びらを摘み、同じように不二に見せる。
不二も微笑んで菊丸に掌を差し出した。
菊丸がその掌に花びらをそっと乗せる。
不二はそれを読んでいた本のページに挟み、それからゆっくり本を閉じた。
そうして、二人が微笑みあう。


柔らかく、優しく、桜の花びらは舞い続けていた。




二人を眺めていた海堂は、来た道を戻るため、くるりと方向転換をした。
ふう、と一息ついて走り始める。

遠回りになるけれど。

あの二人の空気を壊したくないと思った。
二人の間に流れていた優しい時間。
優しくて、穏やかな空気。
自分が、誰かが、邪魔をしてはいけない、邪魔はできない。
そんな気がした。















部室で海堂が着替えていると、賑やかな声がして勢い良くドアが開いた。
「・・・・ウス」
「おっす!!海堂一人??みんなもう行っちゃった??」
「・・・はい」
「うわー!!やっべえじゃん!不二〜。早くしないと手塚に走らされちゃうよ!!」
「そうだねえ。でももう多分間に合わないよ。それにしても海堂、こんな時間に部室にいるなんて珍しいね。」
「担任にちょっと・・・」
「何余裕かましちゃってんだよ!不二ー!!はやくはやく」
「はいはい。まあまだ10周ってところだと思うけどね」
「10周だって嫌だ!!」
「・・・じゃあ。お先です」
「えー!!薫ちゃんも一緒に走ろうよー!!」
「・・・・・」
「英二、海堂困ってるから」
「ちぇー。じゃあ後ですぐ行くからねー!!」
「・・・・・はい」


いつもの見慣れた様子の二人だ。
明るい、華やかな空気。
いつもの。
それなのに何処か落ち着かなくて、部室を出ようとしたとき。


「大体不二時計持ってんのに!!時間気にしてろよ!」
「ごめんごめん。本読んでたから気付かなくて」
「気付けよ!」
「あ、英二。そんなこと言っちゃっていいの?大体自分が誘ったくせに」
「・・・う。ごめんなさい」
「さ、早いとこ着替えちゃおうよ。20周になっちゃうから」
「うおー!危ない!早く早く!」
「はいはい」


『・・・・気付かなくて』


不二のその言葉に、海堂は振り向いて彼を見た。
視線に気付いた不二が、いつものようににこりと微笑みを浮かべる。

「・・・・失礼します」

海堂は視線を外して部室のドアを開けた。
風と共に桜の花びらが舞い込む。
花びらを目でゆっくりと追って、それからドアを静かに閉めた。
コートに向かって走り出す。
菊丸の賑やかな声が遠くなる。



風を受けて走りながら、先ほど階間見た二人を思い出した。
そしてあの優しい空間に迷い込んだ自分を。



これからも、思い出すのだろう。
桜の散る、こんな風の日に。



end