未来



家の前に車が止まる音が聞こえ、段ボール箱に荷物を詰める手を止めた。
窓越しに玄関先を見下ろすと、車から降りた英二が呼び鈴を鳴らそうしている。
一時置いて、階下のチャイムが家全体に響いた。
階下まで彼を迎えに行こうかと振り返ったが、それは直ぐに止めた。
何も今日に限って特別な事をすることもない。いつもの様に母か姉が英二を玄関で迎え入れ、二階に通してくれる。
もう何年もそうして来た。
再び荷物と向き合うが、多くを持って出るつもりも無いのだから、すぐにでも終わるだろう。
作業を再開し、間も無く階段を上がってくるだろう足音を待った。





英二と住む為に借りたアパートは大学近くの小さな建物で、今日が其処への引っ越しの日と決めていた。
数日前から準備をしていたにも関わらず、僅かな荷物はいっこうに片付かない。
今朝になってようやく終わりが見えて来たが、相変わらず作業の手は苛立つ程に遅い。
これから同じ家に住む嬉しさや期待と同時に存在するこの苦しさから、目を逸らす事が出来ずにいる。
行きたくないはずは無い。
ずっとこの日を待ち望んでいたはずなのに、すぐ目の前に見える未来のずっと先を思い苦しくなる。
いずれ此処へ帰って来なければならない時が来る。
何時になるかは分からないけれど、其れは二人で暮らす理由が無くなった時。
そんな日が来なければいいと思い、けれど戻る場所を確実に残しておきたくて、葛藤する。

やっと最後の箱を閉じた頃、軽快な足音が響いて来た。
「ふ〜じ、準備はいい?」
嬉しそうな英二の顔を見ると重い心は軽くなり、思わず笑みが零れる。けれどその苦しさは無くなったのではなく、ただ見ないように心の奥にしまい込むだけ。
「もう終わるからちょっと待って」
使わなかった段ボール箱を片付ける隣で、英二は荷物の余り減っていない室内を見渡し本棚で目を止めた。
「アルバム持ってかないの?不二の撮った写真だろ?」
「ああ、うん。其れはいいんだ。母さんが当分この部屋もそのままにしておいてくれるって言うからさ」
「不二は長男だからなぁ。俺なんて家出るって言ったら最速兄貴に喜ばれたよ」
「そっか。…それにさ…」
「ん?」
また、いつ此処に帰って来るかも知れない、なんて言えない。
「ううん、何でもない。じゃあ、荷物運ぼう」
「ん」
聞かれなかった、そして聞こえなかった振りをして、階下へ荷物を運ぼうと促した。
一番重い箱を選んで持つ英二が扉の前で立ち止まった。
「俺、もう自分の部屋無くなっちゃったからさ」
「ん?」
「大学出たら、不二のお嫁さんにしてもらって此処に住もうかな〜」
笑いながらそう言って英二は部屋から出て行った。

「まいったな」
つい出てしまった自分の独り言に、思わず笑った。
そんな風に此処へ帰ってくる理由があるなんて。
冗談だと分かっていても、英二の一言で自分達の未来を信じたくなる。
何も迷う事なんて無かったんだ。そう思い、荷物を軽く持ち上げた。





最後になった箱を一つ持ち、暫くは帰って来ない部屋の扉を閉める寸前、細くなっていく室内に遠い未来の二人の姿がぼんやりと見えた気がした。