溜め息





部活を引退した現在は、中間テストが終わっても特にどうと言う事も無く、ホームルームが終わればあとは自宅に向かうだけ。
殆どの生徒が帰宅してやけに広く感じる教室から目を逸らし、まだ夕闇の欠片も見えない窓の向こうを眺めた。
「英二、どうしたの?」
「んー」
「ぼんやりした顔してるよ」
非難を微塵も感じさせない口調が染みる。
「ぼんやりって訳でも無いんだけどさ、部活が無いと気合入んないっていうか。ほら、前はさテスト終わった途端に部活でさ…」
「判らなくも無いかな。部活ばっかりだとあんなにサボりたくなってたのにね」
「だな〜」
後悔するような練習をしてきたはずは無い。それなりの結果も出せたテニスから暫く離れていただけで、懐かしいような不思議な気分になる。
「久しぶりに部活覗いてみる?」
勉強さえ無い事にすれば、自分達には充分な時間がある。だからと言って練習を見に行っても、後輩達が無駄な気を使うだろうと思う。
「今日はやめとく」
そう言うだろうと最初から分かっていたかのように頷いた不二に帰ろうと促され、ようやく鞄を持って立ち上がった。

人が疎らな玄関で靴を履き替え数段の階段を下りたところで、ふいに遠回りを思いついた。
「不二、久しぶりにあの道から帰ってもいい?」
あの道とは、部活を休んだ時の帰り道。
休む理由なんて大抵は大した理由もなく、今思えば気分じゃないとかそんな安易なモノだった。
けれど一人で真っ直ぐ家に帰る気になれなくて、というより不二と一緒に居たくて、不二を誘っては目的の無い遠回りをしていた。
了解の返事を貰い、いつもとは違う角を曲がり川沿いの道へと進んだ。





前回この道を歩いたのは何時頃だっただろうと記憶を辿る。
そうだ、数か月程前の事だった気がする。全国大会の予選の真っ只中に、やはり特別な理由もなくこの道を歩いた。
川に架かる小さな橋、歩道にまで枝の伸びた大きな木、どれも記憶の中の風景と変わらない。
公園の手前には自動販売機があって、其処でいつも1本だけジュースを買っていた。
「あれ?此処って何があったんだっけ?」
歩く速度を緩めた不二が言った。
不二が此処と言った場所は、白く高い仮囲いが廻らされたマンションの建設現場だった。
その白い塀の横をゆっくりと歩きながら此処に何があったのかを思い出そうとしてみるが、知っていると思っていた記憶は意外にも曖昧で、見たはずの風景を思い出す事は出来なかった。
「全然思い出せない…」
「うん。僕も」
確かに存在し、目に見えていた物がどうしても思い出せない。

「変わったんだな」
「うん」

記憶の中と同じだと思って歩いて来た道も、気付かないだけで本当は少しずつ変わっているのだろう。
それが当然だとは思っても、其れ以前を思い出せない事が少し寂しい気がして小さく溜め息をついた。
「英二、ジュース飲むでしょ?」
近づいた自動販売機を前に声を掛けられ、其れが此処に存在していた事に妙に安心して頷いた。

炭酸飲料を一本買い、公園の古びたベンチに座り空を見上げる。
「なんかさ、色々変わったんだなぁ」
呟くように口にした言葉は、言葉にした途端に再び寂しさを蘇らせた。
「それだけ時間が経ったって事なんだよ」
「だよな」
「部活も引退したし」
「うん」
「受験生になっちゃたし」
「うん」
「マンションが出来ちゃうし」
「未だ出来てないけど」
「あとさ」
其処で一度言葉を区切った不二にさっき買った炭酸飲料を渡された。
「なに?」
「変わっても良い事いっぱいあったじゃん。…僕達が出会って、恋人になれたし」
そう言った不二は、照れたように笑いながら空を見上げた。
つられるように見上げた空は、さっき見た色とは違って見えた。
「そうだよな」
手にした缶を握り締め不二と同じ空を見上げると、ついさっき感じた寂しさが薄れていた。





高く澄んだ秋の空。
この空はきっと未来に繋がっている。