触れない指先





部活も終了し、着替えを終えた部員達が次々と部室を後にする。
其の姿をベンチに座り、ぼんやりと眺めながら細く長く息を吐いた。
得に憂鬱な事も無かった変わりに、面白い事も在りはしない。
其れを不満だとは思わなかったけれど、唯、何処か心は落ち着かない。
運動で上がった体温がゆっくりと下がって行くのに比例して、外気も緩やかに緩やかに冷えて行く。
少なくなって行く部員の姿が其の冷えて行く温度を見せているかの様で、何の感慨も無く唯、冷えて行く空気を見て居た。
そんな中、不意に聞こえた声に、声が聞こえた方向に目を向ければ、鍵は自分が掛けるからと適当な事を言って大石から鍵を受け取る英二の姿が目に入る。
其の声は自分に向けられた物では無かったけれど、他の音も声も何も自分の耳には聞こえては居なかったのに彼の声なら聞こえるんだと、何処か不思議な気持ちになった。
酷く、敏感になって居る。
今迄だって彼の声だけが良く聞こえると思ってはいたけれど、自分に向けられた訳では無い、しかも他愛の無い、今迄に何度も繰り返し聞いた会話に意識を引っ張られる。
其れとほぼ同時に先刻朧げに感じて居た、焦燥にも似た据わりの悪さが不意に際立って感じられ、拳を強く握り締めた。
此の落ち着きの無さは一体、何なのか。
彼との間に何か在った訳でも、ましてや大石に嫉妬などしている訳でも無かったが、不可解な焦燥をどうする事も出来ず視線を漂わせた。
今まで彷徨って居た意識が突然、身体の中に戻って来た様な感覚、急にクリアになる視界と感覚に頭が付いて行かない。
其の動揺に反応して鼓動が大きくなって行き、其れが増々落ち着きのなさを増幅させている様な気がした。
落ち着き無く視線を漂わせた先では大石が部室から出て行く所で、真面目な彼はきっと自分に挨拶の声を掛けただろうけれど、其れをきっと自分は無視してしまった事に気付く。
其れを僅かに申し訳無いと思いながらも、乱れる思考も鼓動もどうする事も出来ず、唯其の後ろ姿を見送った。
「……不二、着替えないの?」
「……え?ああ、うん」
とくとくと身体中に響く鼓動に彼の声が重なって、余計に鼓動が乱れる錯覚に陥る。
其れでも掛けられた声に自分は未だ着替えすら終わらせていなかった事を思い出し、彷徨わせて居た視線を彼に向ければ、其処には既に他の部員の姿は見当たらず、着替えを終えた彼だけが立って居た。
わざとに呆れた顔をして、こちらを見詰める彼の顔をぼんやりと眺めながら、治まらない鼓動の音を聞く。
早く着替えなと、ロッカーから制服のカッターシャツを取り出してこちらに手渡す彼に合わせて手を伸ばせば、微かに触れた指先に唯でさえ乱れていた鼓動が大きく跳ね上がった。
触れた指先を灼く様な彼の熱、けして其れが酷く熱いと言う訳では無かったけれど、僅かに触れた箇所から電流でも走ったかの様に自分には感じられ、気付けば伸ばして居た手を思わず退いて居た。
渡されようとして居たシャツが彼の手から離れ、床に落ちて乾いた音を立てるのが、やけにゆっくりと目に映る。
其れを眺めながら今までの焦燥感にも似た落ち着きの無さは、今日1日彼と一度も触れて居なかった所為だと気が付いた。
学校で過剰な接触など今迄にも無かったけれど、意図せずとも指先が触れる事は何度だって在った。
其れは偶然の産物で、其の度に何処か幸せな気持ちになったけれど、今日に限っては其の偶然は起こらなかった。
触れるのも偶然なら、触れないのも又、偶然。
けれど、其の触れない指先に此処まで自分が振り回されるとも思っておらず、彼から伝わる其の小さな熱ですら逃す事無く感じる自分を相当ヤラレていると、そう思った。
「……えぃじの所為だからね」
「……俺の、所為なんだ?」
「そうだよ、英二の所為」
床に落ちたシャツを拾い上げながら言葉を紡げば、言葉を引っ掛けた行為を間違えずに彼が笑いを含んだ声で応えを返す。
同時に手を伸ばされ、頬を包んだ温度に思わず目を閉じれば殊更ゆっくりと口付けられた。
「……そうやって目を瞑ったらキス、されたいみたい」
「…キスもされたいけど、もっとヤラシー事もされたいよ」
「……そういうの反則だって不二…」
唇を触れ合わせたまま、言葉を紡ぐ彼に本音を返す。
だって足りないのだから、仕方が無い。
彼に触れなかった事で大きく脈打った鼓動は、彼に触れられた今も変わらずに大きな音を立てている。
漏らした本音に驚いて一瞬動きを止めた彼を引き寄せ、頬を軽く齧って唇を重ねた。
唇から伝わる温度、其の彼の体温をもっと感じたくて引き寄せ抱き締めれば、同じ様に背中に腕を廻され抱き締められて全身で感じる彼の体温に安堵する。
彼の指先が触れないのなら、自分の指先で彼を捕まえれば良い。
そう改めて思いながら口付けを続け、微かに顔に触れる彼の髪を梳けば、自分を抱き締める彼の腕に力が込められた。