傷つけばいい |
「あ、教室に忘れ物したんだけど、不二ちょっと付き合ってくんない?」 「ん?イイよ」 部活を終え家路に付く最中、校門が視界に入った所で言葉を紡ぐ。 ほぼメンバー全員が揃った中で、たった1人に向けた其の言葉に誰も水を差す事は無く、グラウンドの真中でメンバー達と別れ、真直ぐ校門へ向かうメンバー達とは反対方向に在る校舎に向かって歩みを進めた。 部が終了した時間帯に残って居る生徒など居らず、人気の無いグラウンドは何処か不自然な雰囲気を醸し出している。 夏と違って落ちるのが早くなった陽が空の色を変え、薄い青だった其れが濃紺と薄紅を織り混ぜて辺りを暗く見せている。 そんな景色を眺めながら時間はさほど遅くも無いのにと、季節が変わった事を改めて感じた。 誰も居ない校舎の中に入って階段を登り、自分達の教室へ向かう。 人気は全く無い校舎の中を並んで歩き、其れでもリノリウムの床は二人分の足音を吸収して大きな音を立てる事は無かった。 僅かに聞こえる足音は静かな廊下に吸い込まれる様に消えて行く。 薄暗い廊下、白い壁は闇の色を吸収し濃い灰色に色を変え、非常灯の明かりと非常ベルの明かりだけが怪しく色を光らせている。 階段を上る其の間、会話らしい会話も無く自分達の間には足音と背中で僅かに揺れるディバッグが立てる小さな、其れでも何処か耳障りな音だけが聞こえていた。 別に無断で入り込んだ訳でも無いし、もしも誰かに会ってしまって何かを問われたとしても忘れ物を取りに来たと説明すれば済む事なのだから黙って歩く事も無かったのだけれど、どちらも何も言わないのは、心の何処かに在る罪悪感にも似た感情の所為だろうか。 そんな事を考えながら、其れでも相変わらず何も口に出せないまま教室に向かった。 誰も居ない教室に入り、開いたままになっていた扉を閉める。 静かな校舎に引き戸を閉めた音が大きく響き、其れが抱える秘密を一つ増やした気がしたけれど、其れには気付かなかった振りをして自分の席へと向かった。 机の中に忘れた、1枚のプリント。 得に其れが必要な訳では無かったけれど、唯不二と少しでも一緒に居たくて、わざとに机の中に置いて行った。 其れを不二も知って居ると解っているから、此処まで来る間に何も話す事が出来なかった事も。 全部、自分達は知って居た。 「……また、嘘吐いちゃったね」 「うん…そうだね」 静かな教室の中にけして大きく無い声が響く。 閉め切った教室の中で紡がれた声は酷く穏やかで、其れでも其の声の中に罪悪感が見隠れし、揺れる心は隠しきれていなかった。 世間一般とは違う、自分達の恋。 人目の付く所で恋人同士に見える振る舞い等出来るはずも無く、二人きりになるには、恋人同士として僅かにでも多く時を過ごすには、先刻の様に小さな嘘を重ね其の時間を作るしか術は無かった。 制限され、限られた時間の中で少しでも長く一緒に居たいから自分達は小さな嘘を重ねて行く。 其れでも其の嘘が、まるで自分達の恋は間違って居ると言わしめている様で、嘘を吐く度に僅かに胸が軋んだ。 「…でも、一緒に居たかったんだ。少しでも」 「……うん、解ってる。だから…」 仕方が無いと言う言葉を飲み込んで、唇を重ねる。 罪悪感を感じる事なんか初めから解っていたけれど其れでも募る思いは抑えきれずに、共に居る事を選んだ。 思いを重ねるのと同時に嘘を重ね、傷付くのなら其れで良いと、そう思う。 ──────傷付けば良い。 どうせ繋いでしまった手を離す事など出来はしないのだ。 周囲に伝える言葉が嘘ばかりでも、お互い相手に向ける言葉に嘘が無い事を知っているから、そんな痛みは耐える事が出来る。 触れ合わせていた唇を一度離し、暗い教室の中で至近距離で見詰め合い、再度唇を重ねる。 暗がりで見た不二の顔に先刻僅かに見た様な揺らぎは既に無く、其の瞳に映っている自分も又、同じ顔をしていた。 |